• 研究紹介
  • 2009.08.05

日本語教育基金プログラム寄稿「日本の移民と言語政策」

この度、基金校のひとつである、オーストラリア、クイーンズランド大学で、NF-JLEP運営委員長を務めるナネット・ゴトリーブ教授に、多言語社会、日本における言語政策について執筆していただきました。(Read the original article)

 

多言語社会と国の政策

日本は、現実には相当数の外国人が暮らしているにもかかわらず、近代史を通じて、国家建設のためのレトリックとして自らを単一言語国家とみなしてきました。しかし、過去15年、多言語社会であるという現状認識が実際にはゆっくりと浸透してきました。古くからの韓国、中国、沖縄、アイヌのコミュニティ言語に加え、1980年代初頭から移民が急増したことで、多様な外国人労働者が話す言語が加わりました。日本語を母国語としない住民のコミュニティや学校の出現に伴い、地域では多言語主義への認識が高まり、単一言語国家という概念が揺らいでいます。日本で使用される主たる言語はもちろん日本語ですが、決して唯一の言語ではありません。

社会の構成員間の円滑なコミュニケーションは、社会が良好な関係を保つうえで極めて重要です。このため、私たちは二つのことを理解する必要があります。すなわち、多言語コミュニティの存在によって均質な国という概念が揺らぐことで、言語にはどのような期待が集まるのか。そして社会が、政府の諸機関や学校(国の場合)、民間部門やコミュニティ全体の言語政策や慣行を通じて、この期待にどこまで応えられるのかということです。

リセント(2000年)は、言語政策の発展における3つの段階を概念化しています。まず、言語が実用的な財産であり、国家建設のツールでもあるとみなされた初期の段階。次に、言語に対する中立的な見方が、言語政策のイデオロギー的側面を批判的にみる意識に取って代られた1970年代と80年代。そして、世界規模での人やモノの絶え間ない流れやアイデンティティの相互作用に注目が集まる現在の段階。日本は今、この3段階目に入っていますが、言語政策はほとんどが第1段階に基づいています。単一言語の価値体系は、内部の言語伝達のニーズやコミュニティ言語の存在を、政策レベルでは認識しないことを意味します。しかし、多言語主義の出現は、国に対して、日本語を話さない納税者に広範な言語関連サービスを提供するとともに、言語の多様性を問題としてではなく財産ととらえるように迫っています。多言語社会においては、国の言語政策は、学校における外国人児童生徒への言語教育や、地域社会での成人への言語教育から帰化の要件に至るまで、さまざまな言語関連の課題に対処することを求められています。

 

現在の言語政策:地方自治体と国の取り組み

ミクロ・レベルでは、国よりも地方自治体のほうが、外国人住民が住む地域社会の言語面でのニーズに対応してきました。公立学校のJSL(第二言語としての日本語)クラスは文部科学省が随時提供していますが、多彩な言語クラス(地域の国際交流協会を通じてボランティアが運営していることが多い)やその他の多言語サービスを地元住民に提供しているのは、地方自治体と非営利団体(NGO、NPO)などの市民組織です。自治体同士の連携を示すよい例が、「外国人集住都市会議」(注1)です。これは、外国人住民の割合が2%の静岡県富士市から16.3%の群馬県大泉町まで、7県1の26都市が組織した会議で、2001年の設置以来、地元の外国人住民に関わる施策や活動状況についての情報交換や共通課題に関する会議の開催、さまざまな分野の状況改善に向けた政府への働きかけなどを行っています。例えば、2008年には「みのかも宣言」(注2)を発表し、国に対して外国人住民が自立して地域の町づくりに十分参画できるよう、日本語習得の支援態勢を保障することを提言しました。

外国人住民の統合が社会組織にとって重要であるだけに、この分野で言語をどうとらえるのか、また何を期待するのかをはっきりさせることが不可欠です。言語政策は、言語の多様性にどう対処するのかという国の姿勢を示す指標として言語への期待や役割を定めるものです。他の多くの国でもそうですが、日本の現状はこれまで同様、国の結束のために言語的同化を進めるというものです。例えば、19世紀末には近代的な統一国家建設のため、北海道のアイヌ民族、沖縄の琉球民族への日本語教育が義務化されました。日本が今後、こうした状況を変える可能性は低いとみられ、アイヌ文化振興法や国際言語としての英語普及政策という例外はあるものの、現在の国の言語政策はこうした状況を反映しています。

最近になって、外国人住民の日本語学習ニーズに対する国レベルの新たな支援の動きが出ています。2009年4月には、金融危機で苦境に陥った外国人住民を支援するため、内閣府が、日本での生活に関する一般情報や特定テーマの情報を発信する多言語のウェブ・ポータル(日本語、英語、ポルトガル語、スペイン語)を開設しました。直近では新型インフルエンザに関する多言語情報へのリンクのページが加わりました。ここ何年かは地方自治体の各種ウェブサイトが日本の多言語情報の普及に中心的役割を担ってきたため、国レベルのウェブサイトの登場は歓迎されています。

このポータルは、自治体、国際交流協会と並び、日本語クラスの提供に国が一段と前向きになっていることを示しています。あるリンクには2009年の内閣府の委員会文書が掲載されており、そこには多数の外国人住民が住む都市を中心に、保護者が子どもの外国人学校の授業料を支払えず、そのため日本の公立学校への転入を希望する際の支援策が記述されています。転入には当然ながら日本語習熟度の向上が重要であるため、公立学校への転入前の準備として地域レベルで行う日本語の補習講座に、特にJICA(国際協力機構)のボランティアなどが配置される予定です。こうした児童生徒を受け入れる公立学校でも、JSL教室を設置して子どもたちを支援することになっています。

こうした活動は、適切に実施されれば、経済が困難なときの財政支援という枠組みよりもはるかに超えた効果を持っており、これをステップに日本語が習得できれば、帰化を望む外国人住民を支援することにもなります。帰化は社会への統合を容易にする重要な法的メカニズムですが、世界規模での人口移動を背景にその中身が厳しく精査されるようになっています。現在、日本の帰化申請の日本語能力要件は小学校2、3年生と同程度の読み書きが必要とされていますが、社会生活にしっかり参加するには明らかに不十分です。日本国民としてどの程度の日本語習熟度が求められるのか、新たな移民にとってその実現を阻む障害は何か、それをどう克服すればよいのかについて、継続的な議論が必要です。政府によるJSL学習の支援強化は、この状況を自治体の問題としてではなく国家の問題としてとらえようとする新たな一歩といえます。

 

日本の将来のための言語政策

言語政策は、政府の活動を知らせる文書をただ集めただけのものではありません。それは社会の全体的な言語文化を特徴づけ、包含するものであり、言語に対する具体的な理念を反映しています。桂木(2005年)は公共哲学の立場から、個々の言語政策の位置づけを確認できる前向きで総合的な「言語政策の枠組み」、すなわち、社会における言語問題の指針となる理念(しばしば「言語イデオロギー」と呼ばれる)を定めた一連の包括的な政策を提言しています。こうした言語政策の枠組みがあれば、今日の日本における言語の役割についての基本的な理念を形作り、国民的議論を通じたある種の国としてのコンセンサスが得られ、さらには具体的な課題に踏み込んだ言語政策の策定にもつながります。

国民的議論を進めるには多くの時間と労力、そして他者を思いやる心が必要です。しかし、高齢化が進展する日本社会にとって、これは避けては通れない議論といえます。その間にも、現在の言語政策は外国人の児童生徒が通う学校の授業に直接影響を与えています。当面の緊急課題は、日本語の重要性を維持しながら多様性にも対応できるようにするとともに、外国人児童生徒が一方で日本語を習得しながら教育内容にもつけていけるような政策スタンスを構築することです。これは、短期的には教育における言語政策(language-in-education policies)の再検討であり、長期的には、国のアイデンティティにおける言語の位置づけを改めて問い直すことになります。

本研究はオーストラリア研究会議(Australian Research Council; ARC)の助成金によるもの。

(注)
1 群馬、長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀の各県。これらの都市の外国人住民の多くは南米出身者。外国人集住都市会議については、http://www.shujutoshi.jp/index.htmlのホームページを参照のこと。
2 岐阜県美濃加茂市は会議の2007~2008年度の事務局。

 

参考文献

桂木隆夫(2005年):“Japanese language policy from the point of view of
public philosophy”(仮訳:公共哲学からみた日本の言語政策)、言語社会学国際ジャーナル(International Journal of the Sociology of Language)175/176; 41-54:

トーマス・リセント(2000年):Ideology, Politics, and Language Policies: Focus on English(仮訳:イデオロギー、政治学、言語政策:英語に焦点を当てる)、アムステルダム、ジョン・ベンジャミンズ

著者略歴

ナネット・ゴットリーブ氏(Nanette Gottlieb)ナネット・ゴットリーブは、クイーンズランド大学日本学教授で、ARCのプロフェッソーリアル・リサーチフェロー(2007~2011年)。著書はLanguage and Society in Japan(仮訳:日本の言語と社会)(ケンブリッジU.P.、2005年)やLinguistic Stereotyping and Minority Groups in Japan(仮訳:日本における言語のステレオタイプ化とマイノリティ・グループ)(ラウトレッジ、2006年)など7冊。現在は、1980年代以降の高齢化の進展と技術革新が今の日本の言語政策にどのような問題を提起しているかを研究する5カ年プロジェクトに力を注いでいる。