• レポート
  • 2018.01.15

日本語を勉強するのが人生の三分の一になるとは思わなかった

インドネシア教育大学出身のNF-JLEPフェローのシティ・ファリダさんは、2017年に同大学日本語教育学科の修士課程を修了し、現在は通訳や翻訳の仕事をしています。2017年には、インドネシア教育大学の来日研究奨学金を受け、3か月間、金沢大学の研究にも従事しました(詳細はこちら「インドネシア教育大学来日研究奨学生シティ・ファリダさん来訪」「シティ・ファリダさん来日研究報告」)。2018年は、日本の大学院進学を予定しており、今後の活躍がますます期待されるファリダさんですが、当初は大学で日本語を専攻する予定ではありませんでした。彼女がどのように現在の自分に至ったか、日本語教育に関する様々な経験について、記事を寄稿してくれました。

 

デザインをあきらめ日本語の道へ

一年間の浪人生活をしてまで、どうしてもバンドン工科大学でデザインを学びたかった私が、日本語教育の修士課程まで終わらせるとは思わなかった。デザイン学部の受験発表を見て、新しい進路を考えざるを得なかった私は、とりあえず数学を避けるため、バンドン市内の国立大学を目指そうと思った。英語には飽きてしまい、改めて四年間勉強するのも抵抗があった。そこで、フランス語とアラビア語、日本語が選択肢に挙がった。昔から高校生の間で有名なパジャジャラン大学も魅力的だったが、インドネシア教育大学で英語教育を専攻した先輩から聞いて、言語ならインドネシア教育大学の方が強いと知った。また、日本語学科には様々な奨学金があり、挑戦し甲斐があるとアドバイスされたため、日本語学科を第一希望にした。そして無事に日本語教育学科の学生になった。

 

奨学金、茨城大学への留学、そして教師の道へ

日本語学科の一年生になって初めてNF-JLEPの奨学金のことを知った。一年生全員対象の奨学金試験があり、自分の能力を測るためと同世代の中で何位にいるか知るために、その試験を受けた。試験で8位以内に入り、奨学金を得られることになった。自分は意外に日本語の勉強ができると自信がつき、これからも頑張れるかもとモチベーションも上がった。自分のペースで勉強し続けた結果、三年生の一年間は、交換留学生として日本の茨城大学へ留学できた。帰国してからは教育実習と卒業論文に忙しくなったが、意外と先生という仕事が楽しいと思い、これからももしチャンスがあれば日本語を勉強しようと気持ちが高まった。

卒業してから、バンドンにある民間の日本語学校で教師をした。日本語教師をして一年程経つと、自分にはまだ知識が足りないと感じ、次の年からインドネシア教育大学の修士課程へ進学することにした。

 

大学院という新たな環境と挑戦

母校ではあったが、大学院の新しい環境を新鮮に感じた。学士課程とは違い、クラスメイトは政府機関・大学の職員、日本に派遣される看護師・介護福祉士、現役の高校の先生や研修生等、様々な分野で日本語に関わる方々と出会い、一緒に勉強することができた。大変な時もあったが出会い自体が良い勉強となり、大変感謝している。

また、修士課程は学士課程と比べて教育科目が多く、私にとっては相当苦手な科目が多かった。一年生の前期はまだ日本語に関する科目が主であったが、後期になると教育科目が増えた。大変な時期は、クラスメイトと共に頑張って乗り越えた。二年生の前期は、卒業論文制作に向かって私たちにとっては緊張感が高まる時期だった。また、学士課程になかった厳しい条件は、二年生の私たちをより一層緊張させた。国際レベルの学会で発表することは、最初の高いハードルだった。2016年の1月にICJLE(日本語教育国際学会)がバリで開かれ、ドキドキしながら応募し、無事に口頭発表のカテゴリに参加出来た。国際的なイベントで、改めて日本語教育の世界の広さを実感した。当時は、初めてのことばかりでよく分からなかったが、学会発表としてはまだ序の口のレベルだったかもしれない。

そうこうしているうちに、あっという間に卒業論文の研究テーマの発表が始まり、奮闘していた私たちはやっと研究計画の発表段階まで進んだ。私の場合は最終的な論文テーマが決まる前に、三回ぐらい変更した。仲の良いクラスメイトも同じ時期にテーマを決め、一緒に順調に進めることができた。

 

来日研究奨学金で金沢大学へ二度目の留学

ちょうど卒業論文のテーマが決まった時、指導教師のワワン先生からお知らせを頂き、NF-JLEPの来日研究奨学金*に「応募してみてください」と勧められた。二年生の前期の期末試験も迫っていたが、出来るだけ書類を揃えて、何とか応募することが出来た。このプログラムは学士課程のように試験で選考されるのではなく、まずは日本での指導教授を自分で探さなければならなかったが、ワワン先生と、当時博士課程に在籍していたノヴィア先生のご紹介で、金沢大学の先生を紹介してもらった。先生方のご協力もあり、このプログラムのフェローに選ばれ、2017年1月から金沢大学で3か月間の留学が決まった。

実は1月から3月というのは日本の大学が春休みに入る時期で、参加できる授業の数が少なかった。留学期間も短く、茨城大学に留学したときほど友達は出来なかったが、二年間で修士課程を終わらせるのであれば、短期の来日研究は大変良い機会であった。インドネシアではなかなか手に入らない参考書や、日本語に関する情報がより簡単に得られるため、論文の半分以上は金沢大学にいる間に書き上げた。インドネシアと異なる研究環境や、先生の指導スタイルに最初は緊張していたが、段々と慣れた。また、関西大学で開かれた認知言語学の学会にも参加でき、貴重な学びができた。インドネシアに帰国してから、2ヵ月で論文を完成させ、8月に修士課程を卒業した。

金沢大学の指導教員の大江先生(左)と

 

今の自分とこれからやってみたいこと

とりあえず数学を避け、英語以外の言語を学ぼうと思い立った切っ掛けが、これだけ自分を成長させた。現在フリーランスでやっている通訳や翻訳の仕事では、今まで学んだ幅広い日本語の知識を活かすことができている。最初は不安定な仕事かと思ったが、優秀で素敵な方々と仕事が出来て、視野も広がり、自分には一番刺激を与えてくれる仕事だ。通訳で学んだことは、将来研究者や先生になった時に役に立てばいいなと思う。

修士課程を卒業した後、次の挑戦として、インドネシア大使館推薦の文部科学省の留学生奨学金試験に応募した。二ヶ月ぐらいの間、卒論、通訳・翻訳の仕事、奨学金試験をこなすために奮闘したが、無事に第一次選考を通過し、東京大学と大阪大学の内諾を得られた。第二次選考を通過すれば合格で、来年の四月から進学する。合格したら、博士課程まで進学することを視野に入れている。試験の結果発表は12月か1月頃になるそうで、今はドキドキしながら、結果を楽しみに待っている。

高校の時に目指していたデザイン学部には入らなかったが、今の自分に導かれて、このように素敵な体験ができていることに、大変感謝している。イスラム教では、人間がどのように完璧な計画を立て実現しようと思っても、アッラーは我々に必要とするより良い計画を立ててくれるという教えがある。今までの出来事を反省し、一所懸命頑張ることはもちろん大事だが、アッラーが与えてくれたイーマン、家族、健康を大事にしながら、キャリアや学業を両立することが重要だと改めて実感した。努力は裏切らないと言うが、結果は予想通りにいかなくてもアッラーが選んでくれた道が自分に一番良く、適切だと私は思う。これからも誠実に、自分らしく物事に挑戦してみたい。

 

修士論文発表後にインドネシア教育大学の先生と(著者は右から3番目)

 

*NF-JLEPの来日研究奨学金:インドネシアのNF-JLEPプログラムにおいて、2016年度に実施されたプログラム。インドネシアのNF-JLEP三校で学ぶ最も優秀な大学院生に対し、7,000ドルが来日研究費として支給された。

 

著者略歴

シティ・ファリダ(Siti Faridah):インドネシア教育大学日本語教育学科修士課程修了。学士、修士課程ともにNF-JLEPフェロー。2016年度のNF-JLEPインドネシアプログラムの来日研究奨学金を得て、2017年1月~4月まで、金沢大学の特別研究生として修士論文執筆のための研究活動を行った。修士課程修了後、現在は通訳・翻訳者として活躍している。趣味は写真と音楽鑑賞。