• レポート
  • 2019.10.11

明治時代における翻訳:異文化を表現する方法

“The discovery of the other within ourselves is another by-product of translation”

(Weissbort, Eysteinsson, 2006)

「自分の中にいる他者の発見は翻訳の成果である。」(著者訳)

翻訳が存在しない世界を想像できるだろうか。シェイクスピアの作品が読めない世界はどんなイメージだろうか。私は翻訳が存在しない世界が想像できないので、翻訳研究を行うために日本に行くことにした。

研究概要

翻訳は重要な異文化コミュニケーションの方法の一つだと思う。翻訳を通して、世界の国々の文化や考え方が理解できるようになる。日本が翻訳を通じて、その独自性を保ちつつ異文化交流を可能とし、現在の日本になったことに深い興味を持ったことが、この研究のきっかけとなった。私の研究は、日本の翻訳理論を近代化と歴史的・政治的背景との二つの方向から考え、相互関係を示すことを目指している。

世界の翻訳基準は相対的で、文化や地域によって異なる。様々な国からの影響を受けてきた日本では、翻訳に対する視点がヨーロッパのそれとは異なっている。ヨーロッパの翻訳理論は歴史的に翻訳の意味や外形に集中する傾向にあったが、1970年頃に起きた文化的転回(Cultural turn)後は、原文尊重ではなく、「文化」が注目されている。ヨーロッパでは文化的背景を考慮した翻訳が主流となった。また、翻訳研究は、元は言語学に所属する学問であったが、独立した学問となり、世界中で注目を集めるようになった。

一方、鎖国時代が終わったばかりの日本は、西洋文化の概念を、翻訳の工夫を通じて日本化していった。例えば、原文は「チューリップ」の話だったが、翻訳ではそのチューリップは「桜」に翻訳されたことなどが挙げられる。古来、日本にとって異文化とは中国を指し、日本語は主に中国の漢文に影響を受けた。最初は文書が漢文訓読という戦略を使って翻訳された。

江戸時代末期、オランダ語から翻訳された文書が現れ、翻訳のプロセスに日本政府や、学者の注目が集まった。明治時代になり、近代化の際にオランダ語だけではなく、西洋の様々な言語から翻訳された文書が多くなってきた。さらに明治維新後の日本社会の急激な近代化においては、西洋の考え方や技術を、翻訳を通して学び、新たな制度や国造りを目指した。明治時代に作られた西洋の考え方を表現する新しい日本語は中国と韓国にも輸入され、日本の翻訳研究は東南アジアに貴重な貢献をもたらした。

これらの歴史的・政治的背景を考慮して、明治時代に異文化交流の架け橋として使われた翻訳が、いかにその後の日本の翻訳理論の形成に影響を与えたのかを研究する。これまでの研究では、日本翻訳理論は単体として研究されてきたが、明治時代の翻訳は日本語だけでなく、文化、社会、政治と日本全体に強い影響を及ぼした。翻訳と異文化の影響、日本近代化の相互関係を研究する必要があると感じている。そこで本研究では、外来語と日本語の発展、口語と文語の言文一致等の分析から検討したいと考えている。

留学の経験

現在、私は東京大学大学院人文社会系研究科で「明治時代における翻訳理論—異文化を表現する方法」という研究に取り組んでいる。

ブカレスト大学の学生の頃から、東京大学は日本で一番の大学だと先生に何回も言われていたため、私には東京大学に入学するのは無理だと思っていた。だから今、東京大学で研究できるのが本当に幸せなことだと思っている。

これまでに、主に大学院の授業や国際交流室による日本語教室の授業に出席しつつ、研究のために必要な文献の収集を行ってきた。具体的には江戸時代末期と明治時代の歴史的・政治的背景についての文献を読んだり、研究報告書を書いたり、明治期の翻訳が近代化政策のもとで形成されたことなどを検討したりした。

次に、東京大学で一番思い出に残ったことを紹介する。

東京大学は日本の大学の中で非常に評判が高く、有名な大学であり、初日から「これから頑張ろう」という気持ちで新入生ガイダンスに行った。新入生ガイダンスの日は朝早く起き、とても緊張しながら大学へ行った。「東京大学大学院人文社会系研究科新入生ガイダンス」という看板を見て、受付でガイダンス資料をもらってから、教室に入った。

その後、学生が次々教室に入ってきたが、そこにいる大学生はみんな日本人だということに気づいた。15分経っても、外国人が一人も見えなかった。その教室の中で外国人が私一人だけだったため、大変不安になった。結局、勇気を出して教室を出た。受付の人に聞くと、外国人のためのガイダンスは別の教室で行われるとのことだった。そのため、残念なことにガイダンスに遅刻した。大変な経験だったが、その後、授業がある日は教室を何回も確認し、一度も遅刻することはなかった。

チェコの小説家Bianca Bellova(左)と著者

また、先日は東京大学でBianca Bellovaというチェコの文学賞マグネジア・リテラ賞、EU文学賞を受賞した作家に会う機会があった。ヨーロッパでは会うチャンスがないかもしれないが、不思議なことに日本で会うことができた。この作家の小説の書き方について興味深い話を聞くことができ、質疑応答もあり、大変勉強になった経験だった。

日本の教育制度はルーマニアとは大きく異なっている。その違いを一番感じたのは東京大学の研究室のスタイルを知ったときだ。私は現代文芸論研究室に所属しており、ガイダンスのあと、研究室の学生や先生方に研究室で初めて会った。

自己紹介の後、先生方が研究室のルールを説明した。研究室は毎日開いており、いつでも自由に行けるところだ。そこで授業の予習をしたり、先生方と話したり、他の学生と会ったり、食事もできる。ルーマニアでは、大学生と先生が会えるのは授業の時だけだ。東京大学では研究室は家族のような雰囲気で、先生と自由にコミュニケーションが取れ、非常に便利だと思う。

東京大学のシステムでは、留学生には指導教員以外にチューターもつく。チューターは主に留学生の日常生活や大学生活のサポートをしている。私もチューターがついてくれて、なにかわからないことがあれば、チューターが説明してくれる。大学の図書館の使い方や授業の履修について教えてもらったり、健康保険の手続きなどを手伝ってもらったりしたおかげで、日本での大学生活はずっと楽になった。東京大学で得られた知識や経験はたいへん貴重で、研究にも、個人的な成長にも役に立っていると思う。 

日本についての印象

以前にも日本での生活を経験したことがあるが、今回は少し違う。日本の大学に留学するのは初めてなので、様々な新しい経験をした。

ルーマニアでは日本語の教師をしているが、こちらではまた大学生になったため、時間を戻したような不思議な気持ちがする。国に帰るまで大学生の生活を精一杯楽しみたい。

日本での生活は趣味にも影響を与えた。私は皇居の近くに住んでおり、できるだけその周りをジョギングするようにしている。皇居周辺をジョギングする日本人が多く、私も一回やってみたいと思っていた。とても健康にいいし、一人ではなく他の人の頑張っている姿を見ているうちにジョギングが大好きになった。

日本はとてもきれいな国で、様々なところに行きたいと考えている。前回、日本に滞在していたときは、大阪、京都などの大都市を見物した。今一番行きたいところは沖縄だ。9月に沖縄に行く予定があり、沖縄のきれいな海を見るのを楽しみにしている。

残りの日本の滞在でも新しい経験をして、勉強に役立つ情報を得られることを期待している。

参考文献

Translation-theory and practice, ed. Weissbort, Daniel and Eysteinsson Astradur. Oxford University Press:2006.

著者略歴

モカヌ・マグダレナ(Mocanu Magdalena):ブカレスト大学外国語学部日本語学科学士(2010)、ブカレスト大学東アジア研究修士(2012)取得。ブカレスト大学文化と文学研究博士2020年卒業見込み。2012年から現在までイオン・クレアンガ高校で日本語の教師として、日本語、日本文化、漢字、会話の授業を行う。ブカレスト大学の文化活動の幹事。2017年に国際交流基金日本語国際センター日本語教師長期研修にて所長賞受賞。