• レポート
  • 2019.08.01

インドネシア語を母語とする日本語学習者の申し出表現の習得

研究概要

 グローバル化が進んでいく中、人手不足の日本が海外から看護師・介護福祉士だけでなく、技能実習生の受け入れも始めようとしている。そのため、日本の職場での日本語でのコミュニケーション能力が求められる。その中で、周りの援助を必要としている相手に対して援助の申し出を表現する場面もあり、その時、どのような表現を使ったほうが良いのかという問題が出てくる。海外で日本語を学ぶ学習者(NNS)は日本語母語話者(JNS)との接触がめったにない状況から、学習インプットとして日本語教育機関で使用される教材が大きな役割を果たすと思われる。自己紹介の場面で「初めまして。私の名前はデウィです。」のような現実の日本の社会より離れている教材の提示方法から、「初めまして。デウィです。」のような自然さを考慮した上での提示方法に、教材の内容が変わりつつある。申し出表現も同様の改善を求めるようになる。デウィ(2011)では相手に行動を申し出る場面でJNSが必ずしも「手伝いましょうか」のような「~ましょうか」疑問型形式を使用することなく、「手伝いますよ」のような行為を宣言する表現、または「手伝えることありますか」のような表現もJNSは使用することを明らかにした。一方、インドネシア語を母語とする学習者(INSJS)は特に先生といった目上の相手に対して、「手伝ってあげましょうか」や「手伝っていただけませんか」などの誤用が7割も占めていることがわかった。学習者の母語であるインドネシア語にも同じような表現の「手伝えることありますか」があるにもかかわらず、出現頻度がほとんどなく、日本語教科書で提示する「手伝いましょうか」の使用が多く使用されていることから日本語の教科書で取り上げる形式が学習者の日本語の使用を決定している要因であることが言えるとわかった(デウィ、2012)。JNSは行動の援助を申し出る際、どのような要因で表現形式を選択するのかの調査(デウィ、2014)から「緊急度」が表現の選択の要因であることが分かった。緊急度が低い場合、疑問型を、緊急度が高い場合、行為宣言型の申し出表現形式を使用する傾向がみられた。

 これに対し、今回の訪日ではまず、DCT(談話完成テスト)調査によるデータに基づき、JNSとINSJSが使用した申し出表現形式のバリエーションを把握するため、述語部分の形式による分類を作ることを目指した。できた分類から、a.申し出表現の形式におけるJNSとINSJSの使用傾向の特徴、b.できた形式の分類によるINSJSの申し出表現の誤用の分類、d.できた形式の分類によるINSJSの申し出表現の誤用の原因、e.申し出表現の前置き表現によるJNSとINSJSの使用傾向の特徴を明らかにする。そして、日本語申し出表現の習得におけるINSJSの弱点を明確にし、教材の改善すべきところを明らかにする。次に、教材をどのように改善するかを決めるために、インドネシアの教育機関で使用されている日本語教材及び日本で出版されてきた教材、特に最新の教材の分析を行う。最後に、インドネシアで行われたINSJSとJNSとのロールプレイビデオも分析し、教材に使用可能な部分を見つけ出し、ビデオ教材化の作業に進める。

 

研究成果

まず、DCT調査で収集された申し出表現を分類するためにかなりの時間を費やしたが、指導教官のアドバイスのおかげで分類の形が見えてきた。それは述語部分に着目する申し出表現の分類である。ここでは、空港に迎えに行く申し出の場面を例にあげる。

A.ゼロ述語形式
 A1.動詞:迎えに行く
 A2.動詞+疑問:迎えに行くか、

B.意志表現が含まれる述語形式
 B1.動詞+意志:迎えに行こう
 B2.動詞+意志+疑問:迎えに行こうか

C.与益表現が含まれる述語形式
 C1.動詞+与益:迎えに行ってあげる
 C2.動詞+与益+意志:迎えに行ってあげよう
 C3.動詞+与益+意志+疑問:迎えに行ってあげようか

D.
[使役+受益]表現が含まれる述語形式
 D1a.動詞+[使役+受益(もらう)]:迎えに行かせてもらう、迎えに行かせていただきます
 D1b.動詞+[使役+受益(くれる)]:迎えに行かせてくれ、迎えに行かせてください
 D2.動詞+[使役+受益]+意志+疑問:迎えに行かせてもらおうか、迎えに行かせていただきましょうか
 D3.動詞+[使役+受益]+[否定+疑問]:迎えに行かせてくれないか、迎えに行かせてくださいませんか
 D4.動詞+[使役+受益]+可能+[否定+疑問]:迎えに行かせてもらえないか、迎えに行かせていただけませんか

 この述語部分の分類が明らかになったことで、JNSとINSJSの使用傾向の特徴が明らかになった。JNSは相手との親疎関係によって、疑問型(B2)より行為宣言型(A1)のほうを使用し、C1は友達の相手にしか使用しない。一方、正用の3割のINSJSは疑問型の使用をどの相手にも使用する傾向が見られた。INSJSの申し出表現の正用率は以下の表1の通りである。

表1.相手別にみたINSJSの申し出表現の正解率


*(1)は文法的に正しい表現、(2)は文法的かつ場面と相手に適切な表現

 INSJSの申し出表現の誤用の原因は述語形式の分類から見ると、目上と見知らぬ人に対する表現で失礼にあたるC類の与益表現が含まれる述語形式の使い方がINSJSにはまだ理解できていないため、教科書にしっかり意識させる提示の仕方が必要となってくる。また、「迎えに行く。どう?」というような表現も多く見られる。INSJSにとって疑問文の産出が困難であることが分かった。それから、述語形式が複雑なD類の[使役+受益]表現が含まれる述語形式には不正用が一番多く見られた。含まれている要素が多いため、教材にコロケーションの形で詳しく取り上げる必要がある。

 申し出表現の「よければ」「よろしければ」という前置き表現によるJNSとINSJSの使用傾向の特徴に関して、JNSは申し出の内容が相手にかける負担が重い+相手が尊敬すべき人、申し出の内容が相手にかける負担が軽くても+相手が尊敬すべき人には使用する傾向があり、INSJSは申し出の内容が相手にかける負担が重い場合+相手が尊敬すべき人には前置き表現を使用するが、上下関係とフォーマルな場面では前置き表現を使用しない傾向がある。申し出の場面で前置き表現の必要性を学習させるには学習者に親疎関係、上下関係、フォーマルな場面を意識させる明確な提示が必要になることが分かった。

 以上、日本語申し出表現の習得に日本語学習者の弱点が明確になり、教材の改善すべきところが明らかになった。

 次に、教材分析ではインドネシアの教育機関で使用されている日本語教材及び日本で出版されてきた教材、特に最新の教材の分析を行い、大学の図書館を介して、日本全国の図書館にある日本語教材を取り寄せ、図書館にない最新の教材は購入し、より幅広い様々な日本語教材を分析した上で申し出表現においての教材の提示仕方の改善を導くことができた。

 

教材内容の例:



 

研究発表の機会

 申し出表現のテーマでの研究発表は大学のゼミ内でしか行わなかったが、静岡大学の宇都宮裕章先生の推薦で2018年11月22日-23日、ESD(Education Sustainable Development=持続可能な社会づくりの人材を育成するための教育)のシンポジウムで日本語教育での読解の授業の進め方と学生の授業評価の改善の実践報告をポスター発表する機会をいただいた。このシンポジウムに参加したおかげで、日本の小学校の教育の様子も生で見れた、日本語教育をより広い目で見ることができ、改善の目標も明確にすることができた。

 

帰国後の研究の進め方

 現在申し出表現の教材をファイナル化するために、少数の学生に協力してもらい、できた教材を使用した感想や意見などを聞き、さらに、日本語の専門家にも見てもらって、教材を修正している。教材は、9月から始まる授業で使用する予定である。また、インドネシアで行われたINSJSとJNSのロールプレイビデオも分析し、教材に使用可能な部分を見つけ出し、ビデオ教材化の作業を進めている。トライと修正を重ねた1年後は、教材のイラストレーションなどを整えて、インドネシア全国の学習者も利用できるようにネット上で共有することを予定している。

 加えて、以下の論文を研究ジャーナルに投稿する予定である。

1)申し出表現の述語部分の分類の一考察
2)日本語学習者の申し出表現の習得状況 ―述語部分を中心に―
3)日本語母語話者と日本語学習者の申し出表現の前置き表現の使用傾向
4)申し出の場面で使用されるJSの言語ストラテジー

 

日本語教育への貢献

 専門的に日本語教育を学べる大学以外にも、選択科目や必修科目として学べる高校、中学校があるため、世界の日本語学習者数はインドネシアが2位を占めている。学習者が効率よく日本語を身に付けるために、学習者の言語習得研究をベースにする教材が求められる。この研究の成果がインドネシアの日本語教育の発展に貢献することを望んでいる。

 

謝辞

 指導教官の西尾先生をはじめ、大学の研究ゼミの院生の皆さん、NF-JLEPの報告会で出席してくださった阿部先生とNF-JLEPの皆さまからとても貴重な意見やアドバイスをいただきました。NF-JLEPの山田さんと鏑木さんにも大変いろいろお世話になり、そして最後にこのフェローシップをくださった東京財団政策研究所に感謝を申し上げたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

デウィ・クスリニ(2011)「日本語における申し出の表現形式の使い 分け ―日本語母語話者とインドネシア人日本語学習者の選択の 違いから―」『異文化コミュニケーションのための日本語教育』 北京高等教育出版社,2011年度世界日本語教育研究大会予稿集, 474-475

デウィ・クスリニ(2012)「教材における言語使用と日本語母語話者の言語使用とのギャップ―日本語申し出表現を例にして―」インドネシア教育国際大会2012予稿集

デウィ・クスリニ(2014)「日本語母語話者の「申し出」表現の選択要因―行動の援助を提供する場面における緊急度―」『言語文化学研究. 言語情報編』 9, pp.101-122

著者略歴

デウィ・クスリニ (Dewi Kusrini):日本語教育学学士(2002)、日本教育学修士(2007)、言語文化学修士(2011)取得。大阪府立大学博士課程修了(2018)。2003~2004年、翻訳・通訳、大学・語学学校の日本語の非常勤講師として、2005年から、インドネシア教育大学日本語教育学科の常勤講師として勤めている。著作に「日本語母語話者の「申し出」表現の選択要因:行動の援助を提供する場面における緊急度」『言語文化学研究・言語情報編』9号(2014)、「日本のテレビドラマで見られる日本語の申し出表現形式」『日本語教育と日本研究における双方向性アプローチの実践と可能性・第9回国債日本語教育・日本研究シンポジウム大会論文集編集会編』ココ出版(2014)、『プログレッシブインドネシア語辞典』丹波京子他編集 小学館出版(2018)がある。